新しいものを入れたいなら、
心にその場所を作らなくちゃ。
あれもこれもと焦っても動けないのは、
キャパオーバーしている証拠。
まずは、いちばん大きなその塊から。

 

昨日は、父の命日でした。

あれから、5年。

 

昨年は雪に阻まれた、恒例のお散歩も、
今年は無事当日にすることができました。

 

これから仕事のしかたを変えるので、今後、命日当日を実家で迎えることは難しいかもしれません。

なので、今年はひとつの区切りのような気持ちでした。

 

 

昨日までの雪が嘘のような陽射しの中、やっぱり父、晴れ男ね、と思いつつ、てくてく。

 

事故の現場に手を合わせ、うん、もうここには父はいないな、と確認して、念のため、一緒に帰ろうね、と話しかけてみて。

 

わたしがしなければ、誰もしてくれないこと。
今年もすることができました。

 

 

歩きながら、浮かんだのは、「赦し」という言葉。

 

当時、わたしは加害者を赦さないことにしました。

赦せなかった、ではなく、赦さないことにしたのです。

 

それまでは、何かがあった時、何かをされた時、赦そうとしていました。
できれば、赦せる人でありたい、と思っていたから。

 

事故の加害者側と対峙した時、悩みました。
当事者も苦しんでいる、と、その人は善良な人なのだ、と訴える言葉に、優しい言葉をかけて、受け入れて、赦したほうがいいのかもしれない。

 

でも、しませんでした。

父の死を受け入れられない母の、この先父と、ケンカしながら楽しく暮らしていく時間を取り上げられた悲しみを、わたし以外の誰が代弁できるのか。

 

それが理由です。

 

その母も、もういません。

 

もういいのかもしれないな。
ちゃんと、相手を、そして不甲斐ない自分を赦す作業をはじめてもいいのかもしれないな。

 

そんな風に思えた散歩道でした。

 

ところで・・・

 

命日とか、法事とか、そういうことが近くなると、とたんに動きが鈍くなるのです、わたし。

 

それは、そういった節目が自分が思っている以上に大きいことで、心がキャパオーバー状態になっているんだということに、うっすら気づきました。

 

そのこと自体は、大したことじゃないのかもしれませんが、きっと頭や心がわさわさし始めるから。

 

そして、事を成し終えると、すーーーっとクリアになる。
心の真ん中に、どんっと鎮座していた岩が消え、視界が広がる感じ。

 

その状態になると、不思議と新しいことが飛び込んできたり、今まで進まなかったことが、おもむろに動き始めたりするんですよねー。

 

いつも80%くらいの容量ならよいけれど、そうもいかないときは、焦らず、いちばん大きなことに取り組む。

 

不器用な自分と、うまく付き合っていくコツがわかってきた気がします。

 



コメントする

サイト内検索

カテゴリー