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先日、とある場で、
再会した方がいました。

 

以前お会いした時のわたしは、今とは肩書きが違い、その方にとっては、使えない相手に映っていたのでしょう。

○○長と名のつく方々に向けていた笑顔から、こちらに向けた真顔と言い放たれた凍てつくような言葉が、その方の名前を見た瞬間に蘇ってきていたのですが・・・

 

その方が、今わたしの目の前でニコニコと笑っている。

今のわたしなら、使い道があることをわかっているから。

 

(改心したとか、そういうのではないことはなんとなく分かる)

 

おそらく、以前会っていることも覚えていないんだろうなぁ。
と、とても不思議な気持ちで、その笑顔を眺めていました。

 

人の本音って怖いね。

 

 

でも、それは誰もがしていることなのかもしれない。
多かれ少なかれ。

 

わたしたちは、聖人ではないから。

 

「上下」「使える使えない」とは限らないけれど、日々流れ出るたくさんの情報、たくさんの人々・・・

そこから、人それぞれの基準で、《今》は「いる」「いらない」を無意識に選択して、意識の外に出た人やモノには、つれない態度をとっているんだよね、きっと。

 

そんなことを考えていたら、

あまりにも忙しすぎて、とか、体調が悪くて、とか。

いろんな理由(言い訳)で、きちんと対応をできなかったものがあれこれ思い出されて、その方の過去の態度と見事な笑顔のギャップを、「ま、よしとしよう」と思えたのでした。

 

昨日の敵は、今日の友(ちょっと違う??)

いつどのようにお世話になるか、また顔を合わせるか分からないのだから、「今」じゃない方々にも、最低限の礼儀を持って接したいよね、

 

そういう心の余裕を持っていたいよね、というお話。



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